1.発端
2004年8月4日、NPO法人労働相談センターに1本の中年男性からの電話相談があった。落ち着いた声で、サービス残業について「請求して取れるものかどうか」との質問であった。「証拠的なものはあるか」とのスタッフからのいつも通りの問い返しに、ファックス記録その他で立証できるとのことで、「それなら間違いなく取れるでしょう」と答えた。本人は、パワハラがひどいこと、このままだと殺されかねないので、年末までに退職したいと話したあと、資料をもって8月末に労働相談センターを訪ね、東部労組に加入し、請求について詳細を打ち合わせることを約束して、電話は終わった。月間400件くらいある通常の相談の一つであった。
8月27日、その奥さんから突然の電話があり、ご本人がすでにお亡くなりになったことが告げられた。本人の「8月中に労働相談センターに行く」との遺言を実行するため、奥さんは8月30日にセンターを訪問したいと言われ、当日、事務所でお会いした。息子さんが同行された。お二人とも喪服であった。
奥さんは終始泣いておられたが、事情は次のようなことであった。
夫の中島富雄氏はファミリーレストラン「すかいらーく」の横浜で店長をやっていたが、労働相談センターに電話した当日の夜、奥さんに「労働相談センターに励まされた。これで会社に一矢報える。 不払い残業代を取り返すことが出来るので、他の店長を励ませる」と非常に喜んでおり、息子さんといっしょに残業の計算をエクセルでやりはじめたとのことであった。
しかし翌5日朝、出勤しようとして、玄関先で気分が悪くなり、倒れた。それでも会社への連絡は奥さんがしようとするのを遮って、自分で連絡したとのことであった。そのまま救急車で昭和大学北部病院に入院したが、8月15日、脳梗塞で死亡された。
そこで、話し合った結果、奥さんが東部労組に加入して闘いはじめることを決めた。
2.すかいらーくの概略
株式会社すかいらーくは、1948年設立、本部を東京都武蔵野市におき、1978年に東証一部に上場した企業で、ガスト、バーミヤン、夢庵、藍屋を柱に業種20種超、ジョナサンを統合し、ファミレスでは売り上げ日本一、店舗数では世界一で「ファミレスの雄」と称されている。05年10月、持ち帰り寿司チェーンの「小僧寿し本部」株式の30.04%を約35億円で取得した。すかいらーくグループは、外食・食品97、建築2、他1で構成されている。
売上高 3834億円、営業利益 198億円、経常利益 197億円、当期利益73億円を上げており、外食御三家と言われるマクドナルド(売上高3,081億円)、すかいらーく(売上高3,834億円)、吉野家(売上高1,180億円)のトップを占めている。資本金は129億円、総資産は 244,3億円という。(2004年12月現在)
従業員数は2005年05月時点で、単独で4,465人、連結で6,586人、平均年齢 327歳、平均年収 5,340,000円となっている。 準社員は単独で89620名。
しかし外食市場はこの7年連続で縮小し、過当競争となっているため、最近の外食業界では新旧入り乱れてのM&A戦争が活発化し、「30兆円市場の奪い合い」という熾烈な市場争奪戦が展開されているという。買収を仕掛ける主役は新興チェーン。老舗のすかいらーくも「ファミレスの雄」としていつまでも安泰とはいかない状況にある。その辺りの、企業戦争に負けられない、勝つためには何でもやるとのすかいらーくの企業風土が今回の過労死を生み出した背景にあるのは間違いない。(「週刊ダイヤモンド」05年11月2日号参照)
会社にはUIゼンセン同盟傘下のすかいらーく労組があり、組合員は5100名を数える。中島富雄氏もずっと組合員で、死ぬまで毎月、4500円の組合費を給与から天引きされていた。企業の暴走を制すべき労働組合として、すかいらーく労組はその役割を果たしたのであろうか。
3.すさまじいパワハラ
中島富雄氏は当時49歳、大学卒業後すぐ、すかいらーくに入社、以後すかいらーく一筋で勤続25年。神奈川県で店長をやっていた。家族は奥さんと大学生の長男、長女であった。
上司であるS地区長からすさまじいパワハラを受け続けていた。
事例を挙げると、「おっさん」「乞食になれ」「高い給料もらってんだろ、時給にするといくらか知ってるのか」「年寄りは仕事が遅い分、長く働くんだよ」「店舗の中も外も1人できれいにしろ」「いやなら辞めろ」「(帰宅途中携帯電話に)何やってんだ、戻ってこい」「毎日出退勤時間をファックスで送ってこい」等々面罵の言葉が残されている。サービス残業は月平均130時間で、多いときは150時間、160時間の時もあったという。
労働相談センターに電話する前の7月、中島富雄氏は横浜市市民相談室の人権擁護委員による人権擁護部門と弁護士による法律相談部門にそれぞれ別の日に相談に訪れているが、どちらでも同行した奥さんを部屋の外で待たせて同席させていない。それがよかったかどうかは別にして、上司によるパワハラの実態を奥さんに知らせ、悲しませたくないとの彼の配慮、優しさと無念の気持ちを痛いほど感ぜずにはおれない。しかしその市民相談室のどちらでも彼は解決への道を探しあぐねて、労働相談センターにたどり着いたと思われる。
4.闘いがはじまった
奥さんの中島晴香さんが組合に加入して闘いがはじまったが、まず、すかいらーくとの団体交渉における当事者性の法的根拠をとりあえず労働基準法第23条(金品の返還)「使用者は、労働者の死亡又は退職の場合において、権利者の請求があつた場合においては、七日以内に賃金を支払い、積立金、保証金、貯蓄金その他名称の如何を問わず、労働者の権利に属する金品を返還しなければならない」においた。
過労死弁護団の玉木一成弁護士に相談にのっていただく一方、10月19日、すかいらーくに「組合加入通知および要求書」を送り、11月11日にはじめての団体交渉が実現した。要求項目は、不払い残業代の支払い、労災認定への協力、パワハラについての謝罪であった。
また同じ11月に三鷹労基署に労災申請し、何回かの交渉を行った結果、2005年3月8日、あまりにも苛酷な彼の労働実態もあって、異例の早さで労災認定をかちとることができた。
なお、厚生労働省の過労死認定基準(2001年12月12日)は、過労死につながる時間外労働として、発症前1カ月の100時間、発症前6カ月の80時間の時間外労働の認められる業務は過重な業務であること、および1カ月45時間を超える時間外労働は健康上有害であることを明示している。しかし、彼の労働実態はそれらの基準をはるかに超える長時間労働であった。
2005年1月には、会社は不払い残業代700万円を支払った。6月29日の第2回団体交渉で、組合側は新たな要求書を提出した。要求内容は、過労死防止の労務管理体制、他の従業員の未払い残業代の支払い、パワハラ上司の処分、命日参拝、会社担当者発言の謝罪、損害賠償であった。
8月7日、中島富雄氏の一周忌が横浜市のお寺で執り行われた。東部労組から2名が参列した。会社役員も出席していたが、針のむしろであった。蝉しぐれの中、読経が続いた。納骨に移り、皆で墓地に移動した。新しい墓石には「誇り高き男ここに眠る 妻晴香 ともに眠る」との墓碑には参列者一同驚愕したが、晴香さんの気持ちが伝わってきた。そのあとの食事会では、晴香さんがご主人への思い、会社への恨み、悔しさ、そして闘う意志を切々と述べられ、参加者の涙をさそった。会社役員は顔を上げることができなかった。
10月1日、第3回団体交渉がもたれて、会社回答が示された。その内容は、第1に再発防止策はいくつか実施中および検討中である、第2に他の社員の未払い残業は調査した結果3名に支払った、第3にS地区長は降格した、直接謝罪する、第4に命日には伺う、第5に会社担当者発言については担当者に注意し、今後このようなことのないよう会社として謝罪する、第6にサービス残業をさせた場合の罰則規定を就業規則に入れるようにする、第7に損害賠償は判例の範囲で、というものであった。
これに対して、組合側は10月5日、社長責任が不明確、社会的公表によってはじめて再発防止策は実行される、毎年命日の前後に年間報告を、損害賠償に誠意ある回答を、との組合見解を会社に送付した。
12月3日、第4回目の団体交渉が開かれ、会社は損害賠償は満額回答、その他については不問にする、との回答を持ってきた。話し合いの結果、会社は社会的ないしは全社的な公表について再検討し、次回交渉にそれを持参することを約束した。
5.すかいらーく労組(UIゼンセン同盟)の問題
中島富雄氏の過労死については彼が現役の組合員であったこともふくめ、UIゼンセン同盟すかいらーく労組の責任は大きいものがあると考える。すかいらーく労組は組合員である中島富雄氏の過労死について、会社にいかなる申し入れを行い、協議をしたのか、公開すべきである。少なくとも組合員であった者の遺族にそれを伝えるのは労働組合としての最低限の義務ではなかろうか。また、もし中島富雄氏の過労死について会社に申し入れをせず、いかなる協議もしていないとしたら、それはなぜなのかを明らかにすべきであろう。まさか中島富雄氏の過労死が会社に申し入れ、協議するに値しないと認識されているのではあるまい。
我々はその点を非常に危惧するものである。というのは次の文書をインターネット上で見つけたからだ。「junionレポート」(2005/5/10)の「パーフェクト・ストラテジー」というコーナーで、すかいらーく労働組合の吉田弘志中央執行委員長が「世界で一番元気な会社にする方法は」とのテーマで話したものが掲載されている。
内容は次のような調子である。
「(株)すかいらーくでは初代労働組合委員長、伊東康孝が現社長に就任しているほか、三代目労組委員長は現ジョナサンの社長です。最近でも私の前委員長だった芦川雅明氏が夢庵カンパニーの代表を、本社取締役と兼任で勤めています」と、「労使協調」を誇示している。
そして、問題の発言がはじまる。「ある意味、店長は誰の助けもなく、全責任を負って店舗を切り盛りしていかなければならない孤独な存在です。忙しさも半端ではありません。しかし、本当にできる店長、つまり強い店長は、その中でも休みを取れるのです。なぜならば、しっかりマネジメントが出来れば1人でがんばっている店長を見て、誰かが『店長休んでください。私が代わりに働きますから』と言ってくれるからなのです。ここまで行くにはそれだけの人間的魅力がなくてはなりません。権限委譲のノウハウも必要です。『お前に任せるよ』と仕事をさせてもらえれば、やる気が芽生えます。そういう各人のやる気をマネジメントできるノウハウを身につける一助として、『人間道場』などの私たちの研修が機能すればこれほどありがたいことはありません」と述べている。さらに、「たとえば今ガストでは、10店舗につき、11名の社員をつけています。これを10店舗に二人、強い店長一人が5店舗を見る体制ができればそれは労組にとっても、人材育成の究極の目標といえます」と労働強化を主張している。
「junionレポート」の発行日と発言内容に出てくる他の年月をあわせて勘案すると、吉田委員長がインタビューを受けて話した時期は2005年初期とみてほぼ間違いないと思われる。
中島富雄氏が前年8月に過労死したことは吉田委員長はよく知っており、過労死して半年くらい後の発言であることを念頭にもう一度この文章を読み返していただきたい。
吉田委員長の発言は、中島過労死に対し一片の反省も、会社への抗議の言葉もないどころか、中島富雄氏には「マネージメント能力がない、人間的魅力がないから休めない」、つまり過労死は彼自身の無能の致すところであり、彼自身の責任だと主張していると理解する以外取りようのないものである。
労働組合役員出身者が会社の経営陣に上りつめる、いわゆる「出世の階段」になっていることを誇示することや、労働強化を労働組合が率先して主張することは労使癒着、御用組合、第二労務部のそしりを免れないと思われるが、それにもまして、吉田委員長は「できる店長、強い店長」での主張が中島富雄氏の過労死を冒涜するものになっていることを自覚し、責任をとるべきであろう。
労働者にとって、労働組合とは一体なんなのであろうか。
東部労組では2005年12月9日、中島晴香さんとご家族を励ます会を開催し、今後の闘いの決意を固めた。
(石川源嗣著『ひとのために生きよう!団結への道−労働相談と組合づくりマニュアル』から抜粋)
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